前回のブログの終わりに、
自分の幼少期の頃の暮らしを思い出すことで、
「自己肯定感と暮らし方には関係があるのではないか」と考えた
ということをお伝えしました。
今日はその続きで、自分が覚えている幼少期の頃のことを少し書きます。
※幼少期の覚えている範囲の記憶で書きますが、別に「こんな暮らしだったから!親が悪い!」と言うつもりは全くありません!両親とは良い関係です(^-^)(と、息子の自分は思っています。笑)
「買う」が当たり前の生活
幼少期の頃、暮らしの中で何か必要なものがあれば、「買う」のが当たり前の生活をしていました。
●味噌がなくなったら?→スーパーで買います。
●棚が必要になったら?→家具屋に見に行きます。
●服に穴が空いたら?→新しい服を買います。
「買う」ことは悪いことではないと思います。
今も、いろいろなものを買って暮らしています。
でも、幼少期といまの暮らしを比べると、違うところがあります。
それは、「つくる」という選択肢があることです。
「自分にできるんだ」という感動
かつての自分…幼少期〜29歳までの自分は、
「買う」ことが当たり前すぎて、
「つくる」ということは知らない、選択肢にありませんでした。
そして、現在は?
☆味噌は作れる
☆棚も作れる
☆服にあいた穴も直せる
これらを体感して、知っています。
初めて味噌を作った時、棚を作った時、服を直せた時、
「自分にできるんだ」って、本当に素直に感動したのを覚えています。
その時の出来栄えは関係なく、
自分にできると思ってもいなかったことが、やればできるんだと分かったことに感動したのです。
暮らしが「買う」だけになると…?
もう一度、「買う」ことにふれておくと、
買った味噌も美味しいし、
棚はしっかりしててオシャレなものもたくさんあるし、
服を直せると言っても、限界はあるはずです。
ただ、買ったモノやコトは、
基本的にそのまますぐに利用できてしまうので、
結果、暮らしが「買う」だけになっていくと、
あまり自分と向き合わなくても(自分にできるのかな?難しいんじゃないそんなの?でもやったら楽しいかも…?という葛藤など)、暮らしていくことができてしまうのだと思います。
日常の暮らしの中で「つくること」に向き合える時間がふえると良い…!
どうしてここまで、「つくる」暮らしのことにふれてきたかというと、
それが、自分の中で失われていたと思われる自己肯定感を、
取り戻すきっかけになったと考えているからです。
ここまで「暮らし」という言葉を使ってきましたが、基本的には家庭での日常のことをイメージして書きました。
1日の暮らしを見ると、全部家庭にいるとは限らないですよね。
学校に行くとか、部活があるとか、習い事に行くとか、会社に行くとか…。
そういう場できっと、「創造的活動」ができているよ!自分とすごく向き合っているよ!という人もいると思います。
なので、これは家庭という日常の暮らしの中にも、
「つくること」に向き合える時間が少しでも増えると良いのではないかなという、
自分の考えです(^O^☆♪
さて、今日はここまでにしたいと思います♫♫(^^)
次回のブログ記事では、
先日行われたオンラインイベント
「子育てスローライフトーク!Vol.4」の振り返りを書きたいと思います!
どうぞご期待ください(^-^)♫それではー!